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戸田城聖著「人間革命」を読みましょう
さて、「論より証拠」ということわざもあるが、今回はブログ読者向けにゴールデン・ウィーク前の特別サービスとして、戸田城聖著「人間革命」の「発芽」の章より、おつやと巌さんの会話部分を抜き出してみました(一部編集省略あり)。

細かい背景描写はなくても、小説の雰囲気はだいたいわかるだろうと思います。

(この掲載について、著作権法上の問題はないものと当方は認識しております)

----------------------------------------------------------------------------------

おつや「おかえんなさい。寒かったでしょう。」

巌さん「うむ……」

おつや「今晩も残業だったんですか」

巌さん「うむ……」

おつや「毎晩、残業で、大変ね」

巌さん「うむ……」

おつや「食事は済んだのですか」

巌さん「ああ……」

おつや「だけど、たまには、早く帰って、身体を休めないといけないのじゃないかしら」

巌さん「馬鹿なことをいうな!植字工の日給では、一家の生活がようやくなんだ。残業を断って、身体を休めたら、借金の払いようがないじゃないか!だがな、いつまでも、人に使われているものか!おれは、そんな人間じゃない!工場で、おとなしく働きながら、機会が来るのを狙っているんだ。こんな生活から、今に脱け出してみせるよ!」

おつや「あなた!どんなに焦っても駄目なのよ。心を決めて、大善をしなくては……」

巌さん「な、なに、大膳……」

おつや「そうよ。大善よ。あたしたちのように苦しい生活をしている者も、大善をすれば、中善も、小善もいらない、必ず、苦しい生活から切り抜けられるんですって!」

巌さん「小膳でたくさんだよ、小膳で……家族は三人でも、貞一は赤ん坊だ。大膳なんているものか。こんなに狭い部屋に、大きなお膳を据えたら、それこそ、寝るところも、貞一の遊ぶところもなくなるよ。いつまでも貧乏させているものだから、せめて、お膳だけでも大きいのをなんて思い出したんだろ。女って、見栄っ張りだからな、は、は、は……」

おつや「ほ、ほ、ほほほ……あなた、その、お膳じゃないわよ。あたしのいう善は、よいことをする善、悪人に対して善人っていうでしょう、あの善……柴田さんところの宗教座談会で、牧口常三郎という先生がおっしゃっていたのよ。小さな善では、駄目。大善生活でなければ、生活の立て直しは出来ない。一家の幸福の根本は、大善生活にあるって……」

巌さん「……(唖然となって、おつやを見ている)」

おつや「今日も、柴田さんのところで座談会があって、あたし出席したのだけれど、その牧口先生はおっしゃったのよ。事業の失敗つづきで苦しんでおいでの御主人を、あなたが助けて、幸福な日々を送ろうと思われるなら、大善生活をするしかない。それをすれば、生命力も強くなり、たくましくなって、自然に幸福な生活になる。是非とも、大善生活で、家庭革命をしなければならないって、そうおっしゃってたんです!
牧口先生は、柴田さんの上においでになる方で、恐い、厳しい顔をしていらっしゃるけれど、噛んで含めるように話して下さる時は、仏様のようなお優しい顔になるのよ。あたし嬉しくなって、あなたと二人できっと、大善生活をしますって、心のなかで叫んだのよ!」


巌さん「大善…家庭革命か…そんなガラじゃない!」

おつや「ガラやなんて、大善生活をしようというのではありません。あなたと二人で、仲よく日蓮正宗の御本尊を拝み、そして、不幸な人たちへ、そのことを知らせ教えてあげるのが、大善生活なんです」

巌さん「なに、日蓮……日蓮を拝むというのか!おつや!おまえ、騙されてはいけない!宗教などというものは、無智なものを誑かして、金を巻き上げる手段なんだ。仏や神が、この世にあるものか!いったい、日蓮なんか拝んで、それを人に知らせたり教えたりすることが大善生活なら、日本に警察も裁判所も監獄もいらないじゃないか!おまえも、女学校を卒業しているのに、常識で考えたってわかるはずだ。宗教なんぞ、無知につけ込み、弱みにつけ込み、欲につけ込んで、人を騙しているんだ!どのような生き方が、善か、悪か、そのくらいのこと、知らないおれではない。今晩限り、柴田の家へは行くな!大善生活をするなどという考えは止めてくれ!」

おつや「止めない!絶対に止めません!あなたには、日蓮大聖人のことも、大善生活のことも、なんにもわかっていないんです!」

巌さん「な、なに、おれには、なんにも、わかっていないというのか!」

おつや「そうです。あなたは、はじめ、お茶碗や箸を置く……あの、お膳のことだと思ったでしょう。わかっていたら、あんな間違いをするものですか」

巌さん「あれは、なんだ。工場の帰りに誘われて、屋台でひっかけた酒の酔いが出ていたからだ」

巌さん「おつや、本当に人を幸福にする大善生活というのは、この世の中から、苦しんだり、困ったり、もがいたりする人がいなくなる……例えば、生活に困って、娘を売るとか、一家心中をするとか、買う金がないので、盗みをしたり、思いあまって詐欺をしたり……そういう人を、一人でもいなくすることなんだ。世界中の人が欲しいと思う物を、ドンドン造って、只であげる。そうなれば、悪いことをする必要がなくなるし、娘を売ることもない」

おつや「あなた、そのような考えが、一番いけないんですって!牧口先生がそうおっしゃっていました。物を只であげるようなことをしたら、この世の中のなまけ者は、いよいよなまけ者になるし、ほかの力にすがる。気の弱い者は、いよいよひとり立ちが出来なくなる。この世の中には、立派そうな顔をしていても、立派な人間はいない。皆、凡夫だ。わたしも凡夫だ。凡夫というのは、弱いもので、ずるい奴で、嘘もつくし、怠ける。そんな者ばかりの末法の今は、施しをしたり、只で物をやったりすると、皆を悪くするばかりだ。それよりも、大善生活をさせて、自分で働いて、その人相応に社会に尽くす。美しい家、美しい自分、美しい子供、物や金の足りなくない生活をする強い強い力、そして清い生命を湧き出させるんだと、そうおっしゃいました。わたし、それが本当だと思いましたわ!牧口先生に教えていただいたように、御本尊さまを一生懸命に拝んで、強い強い生命を持ちたい。そして、あなたを助けたいのよ。あなたは弱い人じゃないけれど、あたしと一緒に、御本尊さまを拝んで、もっともっと強くなって下さい!」

巌さん「嫌だ!おれは、そんな下等な真似は出来ない!」

おつや「えっ!下等…あなた!な、なにが、下等なんです!」

巌さん「日蓮を拝むなんていうことが下等なんだ!」

おつや「あなたは、な、な、なんて、もったいないことをいうんです!日蓮大聖人は仏さまなのに、そ、それを拝むことが下等だなんて…、そ、そんなことをいう、あなたこそ、下等よ!あたしたち夫婦にとって、たった一つの生きる道なのに、どうしても、あなたが反対なら、あたしはお暇をいただきます!貞一をつれて、この家を出て行きます!あたし、食べられなくなったら…いいえ、仏さまがついていて下されば、どのような人でも食べられないことはないと、牧口先生はおっしゃいました!だから食べられるけれど…万々一、食べられなくなれば、貞一と一緒に死んでしまいます!」

巌さん「牧口の野郎は、大嘘吐きだ!嘘吐き野郎の牧口って男が、おつや、おまえは好きになったんだろ!」

おつや「まあ!あなたは、なんてこというの!あの、御立派な牧口先生に対して、失礼じゃないの!」

巌さん「ふざけるな!立派な野郎が、他人の家をひっかきまわして、夫婦の仲を悪くさせるものか!よおし!その、大嘘吐き野郎の、牧口って奴は、一体、どこに住んでるんだ!他人を騙して、夫婦別れをさせたり、親子をバラバラにしたりする、そんな悪い野郎を放っておいたら、世間が迷惑する!おれが行って、問答して、化けの皮をはいでやる!なに、省線の目白の駅の側…そんなところに住んでやがるのか!おつや、見てろ!おれが行って、問答して、化けの皮をはいでやる!」

(以下、巌さんが牧口宅へ押しかけ、牧口先生から折伏を受ける場面は、書籍の方でお読みください)


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by kachi_kachi_yama | 2012-04-28 00:30
やっぱり!戸田城聖著「人間革命」読まずに異見を続けたあべひ(哀)
昨日に行われていたらしいあべひの再反論は、予想通り、戸田城聖著「人間革命」からの引用をまったく行わず、本を持ってるか読んだのかについても「ダンマリ」を決め込み続けたばかりか、本を持ってる事実を証明するための私の写真掲載まで揶揄していたみたいだ。

ま、肝心要の戸田城聖著「人間革命」を読んだのか持ってるのか「得体の知れない」人物に対して、再三「戸田先生の人間革命買って読め!」を繰り返しても、おそらく、聞く耳を持たないだろうし、本の内容をベースに議論するレベルにもないということで、一旦「終了」とさせていただく。


※まとめ

菊川「戸田先生の人間革命は多くはフィクションで書かれています」

あべひ「戸田先生の『人間革命』は創価学会という実在の宗教団体を描いたノンフィクション小説であることは論をまちません」

あべひ「『多・く・が・フィクション』(創作)で人間革命がかかれているというのなら責任をもってどこが創作なのかを示し責任を果たすべきでしょう」

カチx2「小説の巌さんと実在の戸田先生は描写が大幅に異なっている」

カチx2「池田先生曰く『前半はフィクション、後半は戸田先生の実体験』」

あべひ「『ほとんどがフィクション』だと断定した事を批判している」
(最初は「ノンフィクション」で批判しておきながら、ちゃっかり論点ずらし)


あべひ「(随筆『我らの勝利の大道』を引用して)「新・人間革命」と戸田先生の人間革命は(創価学会会長の立場で書いているかいないか)スタイルが違っている。だからこそ、どこが創作なのか責任を果たすべき」
(最初は「フィクションでかかれているというのなら」といってたはずなのに、ここでも論点ずらし)




※随筆『我らの勝利の大道』より

戸田先生(妙悟空)著の『人間革命』は、文字通りフィクションとして書かれた前半と異なり、後半ではご自身がモデルである主人公の「巌さん」に先生の実体験が重ねられていく。

※池田大作著「人間革命」第1巻「はじめに」より。

昭和三十二年夏、軽井沢での一夜、思えば(戸田先生)御逝去の八か月前であった。
先生は静養中であり、すでにお体は非常に弱っていた。私は、さまざまな御指示をいただいたすえに、談たまたま上梓されていたばかりの単行本『人間革命』に移った。


「大作、おれの『人間革命』どうだい?」

先生は、できばえを気にしているらしかった。

私は恐縮したが、率直に申し上げた。

「読ませていただきました。前半は極力、小説そのものとしてお書きになられたと思います。後半は、先生の貴重な体験を基とした記録として、私は特に感銘いたしました

「そうか、自分のことを一から十まで、うまく書くわけにはいかないからなあ」

先生は呵々大笑された。


池田先生が、このようにはっきりと明言しているにもかかわらず、あべひが反論で持ち出しているのは、池田先生の言を用いながらも、その中身は「あべひの釈」ばかり。


ようするに、この部分は…意味に他なりません。
つまり戸田先生の人間革命と同じ手法でとられており



池田先生の発言を、自分の「釈」でひっくり返そうとするあべひの所業は「下克上」に通じるものと見られてもやむを得ないものだろう。


※結論

「新・人間革命」の引用は出来ても、肝心要の戸田城聖著「人間革命」について

「読まずに異見?」
「まともに読んだことがないようだ」
「読みもせず?」
「引用及びその中身への具体的言及がまったく出来ていない」
「持っていない&読んだことがないことを伺わせる」
「ご存じない」
「読んだことのない?」

あべひがこれだけ私から叩かれても、戸田城聖著「人間革命」の「本を購読済」「所持している」事実の証明や、一行半句の引用もまったく出来なかった以上、もはや、あべひは戸田城聖著「人間革命」の話題に言及する資格すらないことを思い知るべきだ。


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by kachi_kachi_yama | 2012-04-27 23:30
戸田城聖著「人間革命」読まずに異見?あべひ(その2)
昨日の私の記事に対して、あべひが愚にもつかぬ反論をやっていたようだ。


※「富士宮ボーイ」より抜粋。一部編集あり。

No.34993 人間革命フィクション説の援護になってませんよ むしろ逆です 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-04-26 12:18:05 ID:fbdf445af


カチカチ山さんは菊川さんの援護をせんがためにさらに墓穴を掘り下げて
いるような気がします。


私は人間革命で語られている草創期の創価学会のいきさつも含めて
「ほとんどがフィクション」だと断定した事を批判しているのであって、
実在の戸田先生との整合性云々を問題にしているのではありません。
その整合性をつついて人間革命の意義を貶めんと画策しているのは
アンチ学会の人ばかりです。


またカチカチ山さんが(「随筆『我らの勝利の大道』」で)引用した部分は
前後がすっぽり抜けて意図的に菊川さんのほとんどフィクション論が
間違いでない事を強調しようとしています。


※師弟の対話は、戸田先生が「妙悟空」のペンネームで聖教新聞の創刊時から連載
 され、単行本として発刊されたばかりの小説『人間革命』にも及んだ。
 先生は、私が語る率直な感想を嬉しそうに聞いておられた。
 そして、ポツリと言われた。
 「牧口先生のことは書けても、自分のことを一から十まで書き表すことなど、
  恥ずかしさが先に立って、できないということだよ」

(中略)

しかし戸田先生は、出獄後のご白身の戦いについては、何も書こうとはされなかった。

(“「随筆『我らの勝利の大道』”聖教新聞2010/9/20日)


ようするに、この部分は池田先生(法悟空)の執筆されている「新・人間革命」と
スタイルが違い、戸田先生(妙悟空)の「人間革命」は主人公が創価学会会長と
いう立場上で書かれておらず、それは戸田先生が自重されていたからだという意味
に他なりません。


だからこそ私は菊川さんに
「責任をもってどこが創作なのかを示し責任を果たすべきでしょう」と忠告
しているのです。

また新・人間革命第一巻の冒頭「はじめに」の部分には以下のようにあります。

「また、恩師の精神を未来永遠に伝えゆくには、後継の「弟子の道」を書き残さ
 なければ、ならないとの思いからであった。
 しかし、それには、どうしても自分の事を書かなければならないことになる・
 そこには大きなためらいもあった。
 できることなら、続編の執筆は誰かにお願いしたいというのが、私の偽らざる
 心境であった」


(小説・新人間革命 第一巻2ページ「はじめに」~ 聖教新聞社刊)

この後には登場人物にはモデルはあっても、事実とは異なる演出がされている
ケース等が「これまで同様」、つまり戸田先生の人間革命と同じ手法でとられており
「どこまでも小説上の人間像としてご理解いただきたい。」と断り書きまで
されている事を菊川さんもカチカチ山さんもご存じないようです。


人間革命のいきさつを勉強なさっている創価学会員には、なんとなく通じても
相手が非学会員さんであれば、「ほとんどフィクション」と聞いて小説人間革命と
学会員との位置づけが理解できるでしょうか?
まして菊川さんは「現代の法華経」とまで絶賛しているにもかかわらず
ほとんどが絵空事だと教えているのです。

ちょっとした錯誤や言葉足らずでは、すまされない表現だとおもいます。
私は断固「ほとんどがフィクション」論には抗議します。




人間革命フィクション説の援護になってませんよ むしろ逆です


私は、先日の記事において【戸田城聖著「人間革命」】と再三明示していたはずだし、菊川氏は、戸田先生の人間革命についてのみ「多くはフィクションで書かれています」としていたはずだ。

「3つの人間革命」の立て分けを曖昧にする「人間革命フィクション説」及び「人間革命フィクション説の援護」のタイトル表記は、私や菊川氏に対する「印象操作」とも受け取れる手法であるばかりか、人間革命を著作した2人の師匠を軽視する行為であることを知るべきだ。


カチカチ山さんは菊川さんの援護をせんがためにさらに墓穴を掘り下げて
いるような気がします。

私は菊川氏の擁護をするために戸田先生の「人間革命」の話をしてるのではない。

戸田城聖著「人間革命」を読みもせず?に「ノンフィクション小説」と主張したあべひのオマヌケぶりを嘲笑ってるだけのことだ。

実際問題、あべひの反論では、「新・人間革命」と「随筆『我らの勝利の大道』」の引用はしていても、話題の中心となっている戸田城聖著「人間革命」からの引用及びその中身への具体的言及がまったく出来ていないではないか。

そのこと自体、あべひが戸田城聖著「人間革命」を持っていない&読んだことがないことを伺わせる有力な「状況証拠」であると私は考えている(笑)


私は人間革命で語られている草創期の創価学会のいきさつも含めて
「ほとんどがフィクション」だと断定した事を批判しているのであって、
実在の戸田先生との整合性云々を問題にしているのではありません。


菊川氏は「戸田先生の人間革命は多くはフィクションで書かれています」「(戸田城聖著「人間革命」の)背景はフィクションでも、牧口先生のことは事実を元に書かれていると思います」程度のことしか言っておらず「ほとんどがフィクション」とか「草創期の創価学会のいきさつ」には細かい言及をしていない。

戸田城聖著「人間革命」を読みもせず?に「ノンフィクション小説」と断言したあべひ自身の発言に対する責任を棚上げしたまま、菊川氏の発言を自分に都合よく「変換」「捏造」してまで、筋違いの批判をするのは、卑怯者のやることだ。


その整合性をつついて人間革命の意義を貶めんと画策しているのは
アンチ学会の人ばかりです。

あべひがアンチ学会叩きを「ライフワーク」とするのは勝手だが、そういうあべひは、戸田城聖著「人間革命」を読みもせず?に「ノンフィクション小説」と強弁することが、かえって戸田先生や戸田城聖著「人間革命」の意義を貶めてることに気づくべきだ。


またカチカチ山さんが引用した部分は
前後がすっぽり抜けて意図的に菊川さんのほとんどフィクション論が
間違いでない事を強調しようとしています。

ここでも「ほとんどフィクション」で「多くはフィクションで書かれています」の菊川発言を自分に都合よく「変換」するとは、見苦しいにもほどがある。

また、私が引用した「随筆 我らの勝利の大道」の前後をあべひが加えたところで、池田先生が戸田城聖著「人間革命」について「前半はフィクション」と言及した事実に変わりはないし、先日のあべひ曰く「戸田先生の『人間革命』は…ノンフィクション小説であることは論をまちません」の発言が、池田先生によって実質否定されている事実に変わりはない。


また新・人間革命第一巻の冒頭「はじめに」の部分には以下のようにあります。


議論の主題となっているのは、戸田城聖著「人間革命」の話だ。

「新・人間革命」の引用は出来ても、戸田城聖著「人間革命」からの具体的引用が出来なければ、まったくもってお話にならない。


だからこそ私は菊川さんに
「責任をもってどこが創作なのかを示し責任を果たすべきでしょう」と忠告
しているのです。


菊川氏が言及するまでもなく、池田先生が「戸田先生(妙悟空)著の『人間革命』は、文字通りフィクションとして書かれた前半」とおっしゃってる。

菊川氏へ忠告するより先にあべひがやるべきことは、戸田城聖著「人間革命」を買って読むことだ。


この後には登場人物にはモデルはあっても、事実とは異なる演出がされている
ケース等が「これまで同様」、つまり戸田先生の人間革命と同じ手法でとられており
「どこまでも小説上の人間像としてご理解いただきたい。」と断り書きまで
されている事を菊川さんもカチカチ山さんもご存じないようです。


戸田城聖著「人間革命」を「ご存じない」あべひが「戸田先生の人間革命と同じ手法でとられており」とは、片腹痛いばかりだ(笑)


人間革命のいきさつを勉強なさっている創価学会員には、なんとなく通じても

戸田城聖著「人間革命」を読んだことのない?あべひは「人間革命のいきさつを勉強なさっている創価学会員」のカテゴリーに入らないであろう(笑)


相手が非学会員さんであれば、「ほとんどフィクション」と聞いて小説人間革命と
学会員との位置づけが理解できるでしょうか?

「戸田先生の人間革命は多くはフィクションで書かれています」の意味がまったく理解できなかった自称学会員あべひが、戸田城聖著「人間革命」を読んでいる非学会員と学会員の対論をとやかくいうのは「余計なお世話」以外の何物でもないだろう(笑)

戸田城聖著「人間革命」を読みながら菊川氏と対論している非学会員の話題に食い込みを図りたいならば、まずはあべひも戸田城聖著「人間革命」を読むべきだ。


まして菊川さんは「現代の法華経」とまで絶賛しているにもかかわらず
ほとんどが絵空事だと教えているのです。


菊川氏が「多くはフィクションで書かれています」と言及しているのは、戸田城聖著「人間革命」についてのみだ。池田大作著「人間革命」については「ノンフィクション」とも言っており、戸田先生&池田先生で合計30数巻になる「人間革命」を「ほとんどが絵空事だと」菊川氏は「教えて」などいない。


ちょっとした錯誤や言葉足らずでは、すまされない表現だとおもいます。
私は断固「ほとんどがフィクション」論には抗議します。



菊川氏の発言を「変換」して「抗議」を続けるのも勝手だが、戸田城聖著「人間革命」を読まず?に「ノンフィクション小説」と強弁して、戸田先生を「貧乏人の植字工」にしてしまったあべひが何を言っても「無駄」であることを知るべきだ。



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by kachi_kachi_yama | 2012-04-26 19:00
戸田城聖著「人間革命」読まずに異見?あべひ
創価学会において「小説・人間革命」と言えば、戸田城聖著「人間革命」池田大作著「人間革命」(全12巻)池田大作著「新・人間革命」(単行本既刊分23巻聖教ワイド文庫既刊分20巻、現在も聖教新聞に連載中)の3種類がある。

戸田先生の「人間革命」は、昭和26年4月20日の聖教新聞創刊時から3年4ヶ月に渡って「妙悟空」のペンネームで新聞小説として連載され、昭和32年に精文館書店から単行本で発刊されていた。

そして、戸田城聖著「人間革命」は、現在でも聖教文庫において上下巻2冊856円で購入可能であり、全12巻&既刊23巻+αと膨大な分量がある池田先生の「人間革命」「新・人間革命」と比べても、読破に難儀するほどの分量ではないはずなのだが、どうやら、あべひは戸田先生の「人間革命」をまともに読んだことがないようだ。



※「富士宮ボーイ」より抜粋。一部編集あり。

No.34988 【内】 驚愕!人間革命をフィクションだと明言した男 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-04-24 13:03:52 ID:6276e53d9

※小説・人間革命をお読みですか。
 戸田先生の人間革命は多くはフィクションで書かれています。池田先生の人間革命
 はノンフィクションなんです。

(月下の騎士  No.17 <仏教勉強中さん> コメントより)


とうとう菊川さんは歴代会長の小説人間革命を「フィクション」だと明言
するようになりました。何様でしょうか。

フィクションとは架空・虚構の物語を指す言葉であることは皆さんも承知でしょう。
戸田先生の「人間革命」は創価学会という実在の宗教団体を描いたノンフィクション
小説であることは論をまちません。

「ノンフィクション」とは史実や記録に基づいた作品を指すのであって
作中に出てくる主人公や関係者の名前が実名かどうかが問題なのではありません。
『多・く・が・フィクション』(創作)で人間革命がかかれているというのなら
責任をもってどこが創作なのかを示し責任を果たすべきでしょう。


憤りを禁じ得ません。



私は、戸田先生の「人間革命」を「ノンフィクション小説」と主張するこのあべひの発言に「憤り」どころか、あべひへの「失笑」を禁じ得なかった。

ちなみに、戸田城聖著「人間革命」では、戸田先生のモデルとされている「巌さん」の37歳当時の場面が最初に描かれている。

その概略を説明すると、小説の主人公である巌さんは、事業に失敗して借金を抱えていた貧乏人の植字工(活版印刷の植字)で、酒飲みで家庭も荒れすさんでいた中、巌さんの妻であるおつやが、柴田と称する人物から宗教座談会に誘われ、その座談会で牧口常三郎先生と出会ったことで、「大善生活」をやっていこうと決意し、宗教と無縁の生活をしていた巌さんを説得する場面が描かれている。

いわば、戸田城聖著「人間革命」の前半部に描かれている「巌さん」は、創価教育学会の牧口常三郎会長を支え、学習塾経営や学習参考書の発刊で大成功を遂げていた37歳当時の戸田先生とは、経歴や人間模様の状況が大幅に異なっており、月下の騎士の菊川氏曰く「戸田先生の人間革命は多くはフィクションで書かれています」は、間違いではないのだ。


ちなみに、池田先生は、聖教新聞の2010年9月20日号に掲載された「随筆『我らの勝利の大道』」にて、このようにおっしゃっている。


 戸田先生(妙悟空)著の『人間革命』は、文字通りフィクションとして書かれた前半と異なり、後半ではご自身がモデルである主人公の「巌さん」に先生の実体験が重ねられていく。
 そして、この巌さんが、獄中で広宣流布のために生涯を捧げようと誓願を立てる場面で、小説は終わるのだ。



戸田先生の「人間革命」については、池田先生も、前半部分を「フィクション」と明言しているのに、「ノンフィクション小説」という言葉でもって、実在の戸田先生を「貧乏人の植字工」にしてしまったあべひ。


「事実」を元に批判するのではなく、
「フィクション」を元にして学会員を誹謗中傷するあべひには、
私から
フィクション大魔王」の称号を捧げよう(笑)



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※お知らせ

4月28日(土)~5月6日(日)ゴールデン・ウィーク期間中の当ブログ更新は、特段の事情がない限り休止いたします。ブログの更新は、GW明けの週を考えております。

なお、GW期間中の私のコメントは、「あべひ問題を語る」の掲示板で行う場合があります。

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by kachi_kachi_yama | 2012-04-25 17:10
「ネット警察官・あべひ」のお粗末すぎる「犯人探し」(おまけ)
「富士宮ボーイ掲示板」から「あべひ問題を語る掲示板」に転載・論評された内容について、あべひがトンチンカンな反論を行なっていたようだ。

※「富士宮ボーイ」より抜粋

No.34955 【内】 文意が読めていないカチカチ山さん 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-04-18 11:23:30 ID:c1b0a7674

(中略)

そして相変わらず「特定の誰か」と指摘される事を無視できず、かなり恐れている
ために


あなたが誰だかは段々と判って来ています。ご心配なく。

などと威勢を張って見せています。

(中略)

不都合が生じる可能性がある事を認識し、かつ、すでに記憶の彼方にしまわれていた
元コテハンを晒したマグマグ殿に対してまで不都合であったかのような


あなたが誰だかは段々と判って来ています” という脅しにもならない強弁。




上記あべひの文章では、「あなたが誰だかは段々と判って来ています」が、どうやら、私の発言にされているみたいだ。

ちなみに、「あなたが誰だかは段々と判って来ていますは、富士宮ボーイに掲載されたあべひシンパM氏の発言(が「あべひ問題を語る」の掲示板に転載されたもの)である。




※「富士宮ボーイ」より抜粋

No.34947 【研究報告】答えになっていない「かちかち山」さん。 投稿者:マグマグ 投稿日:2012-04-15 23:47:33 ID:4097ddbb5

(中略)

作文がもっと苦手で下手で、何の考えもない・人・だ・け・に誉められ、気をよくしたまでのおめでたさ。あなたが誰だかは段々と判って来ています。ご心配なく。それよりももっと自信をもって、知らないことは知らないとお書きなさい。マグマグo(*^▽^*)o~♪



つまり、元々は、富士宮ボーイのあべひシンパM氏が、「正体不明」の私に向けて、あなたが誰だかは段々と判って来ていますと主張したものであるのだが、あべひが私の発言と取り違えてしまったみたいだ。


あなたが誰だかは段々と判って来ています。ご心配なく。
などと威勢を張って見せています。

あなたが誰だかは段々と判って来ています
という脅しにもならない強弁。



私がM氏に対して使うべき言葉を、あべひが先取りして「代弁」するなんて、見ていて笑いが止まらない…


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by kachi_kachi_yama | 2012-04-21 22:00
「犯人探し」をしていたあべひがたどり着いた先は…
※私の正体を妄想していたあべひに関する記事

エイプリルフール・あべひが放ったギャグ発言(続編)

「ネット警察官・あべひ」のお粗末すぎる「犯人探し」

「ネット警察官・あべひ」のお粗末すぎる「犯人探し」(その2)




「ネット警察官・あべひ」は「犯人探し」を続けたものの、私を「逮捕」することは出来なかったようだ…


※「富士宮ボーイ」より抜粋

No.34926 【ネット・内】 さらに墓穴を掘る 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-04-12 10:45:49 ID:e303dc875

カチカチ山さんは弁明に必死なようですが、その青年部員とやらでないのなら
いちいち反論しなくて済むと思うのですが。

決定打は 「言っておく」 という判決文のような前口上
すでに何度も書き込んでおいてさらに発言に付加価値を付けて最後に勝ち誇る。

まったく彼と同じ文章構成なんですよね。いや似た人がいるもんだなと。


(以下、「彼と同じ文章構成なんですよね」といいながら、あべひが持ち出してたのは、青年部員のログではなく、自分が青年部員を批判した3年前のログ)




その青年部員とやらでないのなら
いちいち反論しなくて済むと思うのですが。


反論してもしなくても、学会幹部の立会で滋賀の拠点会館で私と直接会ったとしても、あべひが「妄想」から覚めることはないだろうと私は思ってるよ。

私が反論した理由は、先のあべひの主張が「突っ込みどころ満載」だったので、当時を知らないブログ読者等へのサービスとして行ったものだ(笑)

また、あべひ曰く「当時のいきさつとしては説明不足」と指摘していたから、せっかく追加で説明してあげたのに。

今では、散々なまでに酷評されている「沖浦氏の公開法論」に、当時のあべひがズブズブにハマっていた話をここで持ちだされたことが、そんなに都合が悪かったのかね?

※「沖浦氏の公開法論」に関連した話題の詳細は、後日、気が向いた時にこのブログで記事にするつもり。


決定打は 「言っておく」 という判決文のような前口上
すでに何度も書き込んでおいてさらに発言に付加価値を付けて最後に勝ち誇る。


まったく彼と同じ文章構成なんですよね。いや似た人がいるもんだなと。

さらに墓穴を掘る」とか「決定打」とかの修飾語(この場合は「粉飾語」)を持ち出しておきながら、出してきたのは「言っておく」の言葉尻をとらえ、以下「彼と同じ文章構成(文章の例示はなし)」「似た人がいるもんだな(個人的感想)」の「決め付け」だけで、私と青年部員が同一人物であるとの証明や、私の記事に対する個別具体的な反論はナシということで終わったみたいだ。


※「言っておく」発言の該当記事を再掲

(引用符で記述しているのは、私が「あべひ問題」の掲示板に「ボツネタ」のタイトルで記事を掲載したことに対してのあべひのコメント)

なぜ没ネタにしたのかというと、おそらく私がエキサイトに転載しなかったため
時系列としてつじつまがわかりにくい事と、「楠板」等々無関係の掲示板のタイトル
を出して戦線を飛び火させないように気を遣ったものだと考えられます。


これについては、あべひ宛に最初にはっきりと言っておく。

時系列としてつじつまがわかりにくい」とか「戦線を飛び火させないように」とか、「心理分析官」を気取ってるのかどうかは知らないが、私が「あべひ問題」の掲示板に「ボツネタ」のタイトルで掲載した際、私はそんなことをまったく考えてなかったぞ(笑)




「『魅惑的』な人々」ブログのテーマは

【広大なネットの海で縁あって巡り会った情報の「意図」を考察していきます】

そんでもって、出して来たあべひの「考察」とやらの実態は
そんなことをまったく考えてなかったぞ(笑)」のひとことで瞬殺されるような妄想ばかりだったなんて、本当に恥ずかしいことだよね。


※結論

ネット警察官を気取った阿部日ケ~ン(院政)」犯人探しをつづけたあげく最後にたどり着いたのは、「必殺おくり人、「ネット中毒患者・阿部日ケ~ン(院政)」安らかに埋葬するために掘った墓穴(はかあな)」でありましたとさめでたしめでたし

     by ネット納棺師kachi_kachi_yama

(注:4月17日記事修正 国外長期滞在で、最近の日本映画に詳しくないと思われる某人物が「意味不明」とほざいてた個所「必殺送り人」を「必殺おくり人」に修正いたしました。)

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by kachi_kachi_yama | 2012-04-15 01:35
「ネット警察官・あべひ」のお粗末すぎる「犯人探し」(その2)
前回の記事
「ネット警察官・あべひ」のお粗末すぎる「犯人探し」の主要ポイント


・私は、あべひが話題にしている問題の青年部員とは別人である。

・当時の私は、富士宮ボーイで話題になった青年部員の法論話には、意見表明を一切していない。

私がこの2つを強調したところで、「ネット警察官・あべひ」が、自分の脳内に築き上げた「妄想ワールド」で「犯人探し」を止めることはないだろうとは思うが、先日の私の記事に対して、即座に反応してきたあべひの記事には、彼がよく使う「印象操作」の手法も見受けられたので、引き続き、重要な個所を取り上げることにする。


※「富士宮ボーイ」より抜粋

No.34919 【内・ネット】 興味深いですね 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-04-10 12:03:06 ID:5437e0833

私は今回のカチカチ山さん検証で「公爵」のフレーズを出していないんですが
カチカチさんはすぐに理解出来たようです。

当時のいきさつとしては説明不足なのでカチカチ山さんの記事を補足しなければ
いけませんよね当然。


(中略)

ちなみに唯一リンクされている掲示板(注:「あべひ問題を語る」のこと)のほうではケチをつけまくっていますが
「あの彼」の失態の内容そのものにはほとんど触れていません。


※「迷惑ブログ」のボツネタ
投稿者:ブログ編集人 投稿日:2012年 4月 9日(月)23時48分27秒


(「あべひ問題を語る」掲示板に掲載した私の記事は略)

なぜ没ネタにしたのかというと、おそらく私がエキサイトに転載しなかったため
時系列としてつじつまがわかりにくい事と、「楠板」等々無関係の掲示板のタイトル
を出して戦線を飛び火させないように気を遣ったものだと考えられます。


さて、かの彼がなにが一番問題視されていたのかというとカチカチさんが示した

「No.19971 2007-09-22 18:43:02 樋田さくらくんとの法論が実現した場合の提案」

とは、ほとんどの人が洒落(ネタ)だと思っていたこと。
そして彼が勝手に樋田との接触取り付けたうえに「法論」の日付まできめていたこと
またその日が学会の教学試験の日であった事。
都合も確かめずに樋田と内通していたことを当の法華講員から暴露されたことに起因
します。


(中略)

富士宮ボーイ掲示板のROMを気取っているのならば、この事実を伏せ
「未熟な青年部」などとこれまた彼がよく使っていたフレーズで省略する
必要などないでしょう。




なぜ没ネタにしたのかというと、おそらく私がエキサイトに転載しなかったため
時系列としてつじつまがわかりにくい事と、「楠板」等々無関係の掲示板のタイトル
を出して戦線を飛び火させないように気を遣ったものだと考えられます。



これについては、あべひ宛に最初にはっきりと言っておく。

時系列としてつじつまがわかりにくい」とか「戦線を飛び火させないように」とか、「心理分析官」を気取ってるのかどうかは知らないが、私が「あべひ問題」の掲示板に「ボツネタ」のタイトルで掲載した際、私はそんなことをまったく考えてなかったぞ(笑)

記事を書いた当の本人からあっさり否定されるレベルの「妄想」をネットで垂れ流したところで、かえって「恥」になるだけだぞ(笑)


当時のいきさつとしては説明不足なのでカチカチ山さんの記事を補足しなければ
>いけませんよね当然。



「説明不足」と言うならば、青年部員が団体法論の提案をした背景をもう少し詳しく説明するとしよう(笑)

・その当時、富士宮ボーイにおいて、学会側の論客として脚光を浴びていた沖浦克治氏が、2007年6月に長野県某所にて、法華講員樋田氏との公開法論を行い、樋田氏に勝利したとの話題で富士宮ボーイが盛り上がっていた。

・沖浦氏との法論後、樋田氏がネットから隠遁し、逃げ回っているとの情報が富士宮ボーイにて流れる中で、富士宮ボーイ参加者のひとりであった青年部員が「団体戦を提案します」の話を持ち出した。

「沖浦氏のリアル公開法論」が行われていた事実が前段階にあって、青年部員が「今度行われる時は団体法論」を提案したとするならば、団体法論の話が「単なるネタ」で収束するとは限らず「リアルで実現の方向へ向かう可能性」を考えたところで、不自然でも何でもない。

その当時、ふたつの法論の話題にズブズブにハマっていたあべひが、今になって「(青年部員の提案は)洒落(ネタ)だと思っていた」と強弁したところで、ふたつの法論の話題にまったく参加していない私みたいな者からすれば、先日の記事でも紹介した

津村君は補欠すか  きゃははヾ(⌒▽⌒ )ノ彡☆ばんばん!

のあべひ発言が「付和雷同」と評価されても、当然のことである。

まして、当時「付和雷同」していた自身の責任を棚上げしたまま、法論話と無関係の私を青年部員であるがごとく妄想するとは「筋違いの責任転嫁」も甚だしいところだ。


「あの彼」の失態の内容そのものにはほとんど触れていません。

そして彼が勝手に樋田との接触取り付けたうえに「法論」の日付まできめていたこと
またその日が学会の教学試験の日であった事。
都合も確かめずに樋田と内通していたことを当の法華講員から暴露されたことに起因
します。


富士宮ボーイ掲示板のROMを気取っているのならば、この事実を伏せ
「未熟な青年部」などとこれまた彼がよく使っていたフレーズで省略する
必要などないでしょう。


ほとんど触れていません」「この事実を伏せ」と言ってるが、青年部員が「批判を受けていた事実」は、私も「団体法論の問題で…富士宮ボーイの住人から批判を受けた…」と説明している。

「批判を受けていた理由(失態の内容等)」の説明は、あべひに取ってはきゃははヾ(⌒▽⌒ )ノ彡☆ばんばん!」等々の青年部員を煽った行為に対する「責任逃れ」を強弁するためには重要かもしれないが、当時の話題に関与していない者からすれば、枝葉末節の問題だ。

ゆえに「説明を省いた」だけのことであって「事実を伏せ」たという認識は持っていない。

また、富士宮ボーイの一部住人に煽られた青年部員が、調子に乗って勝手に暴走した事実を詳しく出したところで、法論の話題に加わっておらず、青年部員でない当方にとって、まったく不都合なことはない。

むしろ、お調子者の青年部員に同調し、「きゃははヾ(⌒▽⌒ )ノ彡☆ばんばん!」等々の「燃料」を投下して暴走させたあべひの壮年部員としての道義的責任があらためて問われることになるだけだ。


「未熟な青年部」などとこれまた彼がよく使っていたフレーズ

青年部員が「よく使っていたフレーズ」とは、私は認識してなかったよ。

よく使っていたフレーズ」を言うならば、あべひの場合は「きゃははヾ(⌒▽⌒ )ノ彡☆ばんばん!」等々のおふざけの顔文字を富士宮ボーイで「よく使っていたフレーズ」のごとく多用している。

それから、あべひとネットバトルをやってるあの黒川和雄(大阪妙輪寺所属)も、あべひと同様におふざけの顔文字を「よく使っていたフレーズ」のごとく多用しているはずだ。(面倒なので例示は略)

よく使っていたフレーズ」という発言でもって、「同一人物」であるかのごとく印象操作をするのであるならば、「おふざけの顔文字」を「よく使っていたフレーズ」のごとく多用しているあべひと黒川和雄も「同一人物」になってしまうではないのか(笑)

ついでながら、あべひとネットで戯れている黒川和雄のことに若干触れておく。

創価学会に対する誹謗中傷を長年に渡ってネットで続けている黒川和雄は、そのネットでの言動行動があまりにも常軌を逸していたがゆえ、同門である複数の法華講員からも問題視され、某法華講員のブログで批判されていた。

それに対して、黒川和雄は、そのブログ主のことを「創価学会員とトモダ~チ!」とか「日蓮正宗から除籍された僧侶の一派」とか、傍目からも信憑性に乏しく見える話を持ちだしての「レッテル貼り」に必死になっていたみたいだ。

私に対して、某青年部員であるかのごとく「レッテル貼り」をやっているあべひの行状は、さながら、同門の法華講員から見捨てられつつある黒川和雄の醜態と同様で、実に哀れさを誘うものである…

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by kachi_kachi_yama | 2012-04-12 01:00
「ネット警察官・あべひ」のお粗末すぎる「犯人探し」
匿名でなされた不正事件の告発に対し、事件を暴露された側が、事件に関する真相の説明責任を果たすことよりも、「匿名の告発者」が「誰」であるか、その「犯人探し」に躍起になる光景は、時にはその滑稽さを垣間見せることもある。

さて、私が誰であるかについて「犯人探し」を続けるあべひの「妄想ワールド」は、もはや「底無し沼の泥船」状態と化しているようだ。


※「富士宮ボーイ」より抜粋

No.34912 【ネット・内】 かの御仁の主張は・・ 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-04-07 12:52:35 ID:3d1c3a3e1

本当のところはもっと単純で、かの「アンチあべひブログ」主さんは、かつて
日顕宗の樋田さんとの討論の課程で他の学会員に断りもなく企画を進め
だれも賛同を得られずに逆ギレをし私が集中的に批判をした人だと私は思います。


動機としては理解できますし予想できた事です。



日顕宗の樋田さんとの討論の課程で他の学会員に断りもなく企画を進め
だれも賛同を得られずに逆ギレをし私が集中的に批判をした人だと私は思います。


上記において、あべひが話題にしている人物は、おそらく、2007年9月に団体法論の企画を富士宮ボーイに持ち込んだ下記のことと思われる。


※「富士宮ボーイ」より抜粋

No.19971 2007-09-22 18:43:02 樋田さくらくんとの法論が実現した場合の提案 投稿者:公爵 ID:821a8efb1

今度もし公開法論が実現したら、団体戦はいかがでしょう?例として、

学会側
先鋒・・・江戸川堤
次鋒・・・山城屋
中堅・・・公爵
副将・・・耕治
大将・・・沖浦克治


法華講側
先鋒・・・伽羅
次鋒・・・73
中堅・・・れいな
副将・・・やまさん
大将・・・樋田昌志


あくまで例ですが・・・。

----------

No.19972 2007-09-22 19:10:07 公爵さん 投稿者:江戸川堤 ID:e15983d64

伽羅だと相手になりませんね~
最低でも住職あたりにしないと。
せいぜい樋田さんは先鋒か次縫ですね。
大将は法主でも歯ごたえありませんね


----------

No.19973 2007-09-22 19:23:25 爆! 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) ID:219c2fceb
津村君は補欠すか  きゃははヾ(⌒▽⌒ )ノ彡☆ばんばん!


----------

No.19975 2007-09-22 19:47:19 いえいえ 投稿者:江戸川堤 ID:e15983d64

>>津村君は補欠すか  きゃははヾ(⌒▽⌒ )ノ彡☆ばんばん!

補欠選考で堕ちたようです。




富士宮ボーイで行われていた当時の話を知らない方のために、過去ログから読み取った当時の状況をここで簡単に説明すると、


・長野妙相寺所属の法華講員・樋田昌志氏を筆頭とする法華講のコテハン論客と、富士宮ボーイで活躍していた創価学会員の論客との「団体法論」の企画を、この青年部員が富士宮ボーイにて提案し、あべひも含めた富士宮ボーイ一部住人が賛意を示して話が盛り上がった。

・この後、しばらくして、この青年部員は、自分のブログで創価学会の人材グループ(創価班と牙城会)について、筋違いと思われる批判の言を発したのと、自分が提案した団体法論の問題で、あべひも含めた富士宮ボーイの住人から批判を受けた状況が過去ログから伺える。

当時の私は、富士宮ボーイを概ねリアルでロムはしていたが、団体法論の話に参加や意見表明は一切していないし、その当時、問題の青年部員のブログは、URLの所在すら把握していない。

・ちなみに、あべひが「補欠」として名前を出した「津村」とは、大阪法住寺所属の法華講員・津村舟作氏で、「ほととぎす」というハンドルネームでも各所で書き込みしていた人物。


それにしても、未熟者の青年部員が持ち込んだ企画提案に対して、

きゃははヾ(⌒▽⌒ )ノ彡☆ばんばん!

の顔文字でもって「付和雷同」していた自称壮年部員のあべひが、企画提案に同調した当時の自分の愚かさを棚に上げ、団体法論の話にまったく関与していない私のことを、その青年部員であるがごとく妄想するとは、実に痛すぎる話である…


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by kachi_kachi_yama | 2012-04-10 06:30
エイプリルフール・あべひが放ったギャグ発言(続編)
私の正体を突き止めようとしていたあべひは、富士宮ボーイにおいて、3年前のエイプリル・フールに自身が書き込みした記事
No.26417 2009-04-01 23:11:12 ますます磨きがかかる妄想ワールド 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) ID:55ee4b639
を持ち出していたらしい。



※「富士宮ボーイ」より抜粋

No.34909 【ネット】カチカチ山さんは誰なのか? 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-04-05 17:21:27 ID:0b4ed572a

ある人が魚拓を教えてくださいましたので、思い当たる節がある人間を考えてみるに
一人しかでてきませんでした。

三年前のエイプリルフール・4/1、富士宮ボーイ掲示板にて
(※2009-04-01 23:11:12 ますます磨きがかかる妄想ワールド

忠告をした御仁のようです。




法華経観世音菩薩普門品第二十五には、正法の行者を害そうとするも、害した側が逆に罰を受けるとする「還著於本人」(還って本人に著きなん)の言葉があるが、私の正体を推理していた先のあべひ発言を評するならば、私と違う特定個人を妄想しているあべひの方こそ「ますます磨きがかかる妄想ワールド」の状態と化しており、まさに「還著於本人」の典型としか言いようがない(爆笑)


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by kachi_kachi_yama | 2012-04-06 00:00
エイプリルフール・あべひが放ったギャグ発言
※「富士宮ボーイ」より抜粋

No.34907 【内】ある日曜日 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-04-01 18:29:51 ID:40d743908

菊川弘幸(ママ)さんが月下の騎士ブログで自分を擁護してくれるブログ(注:このブログのことを指す)
にエールを送っていたので


(中略)

このような例をだすのはおこがましいのですが、日蓮大聖人に歯が立たない
極楽寺良寛
(ママ)も今回の菊川さんのように「強そう」な人に媚びへつらっていた事は
想像に難くありません。



上記の発言において、あべひは菊川氏のことを「極楽寺良観」に例えてるらしい…、となると、あべひの脳内で、私は「鎌倉幕府の悪代官・平左衛門尉頼綱」になり、阿部日ケ~ン(院政)自身は「現代の大聖人様」になるわけか…


※参考:「地涌」第171号 より抜粋

 日蓮正宗機関誌『大日蓮』(平成三年六月号)に、「創価学会における御宗門批判のキャンペーンについて」という一文が掲載されている。

 内田和子という信徒が書いているのだが、全体にヒステリックで、ずいぶんと思い込みの激しい文である。


(中略)

 「現代における大聖人様である御当代の猊下様を否定することにより、池田氏自身が現代の大聖人様にスリ替わることを企て、もって池田氏を現代の大聖人と仰ぐ『池田教』の旗揚げを実現せんと二十年余にわたり周到なる計画をなしたのでございます」

 猊下を「現代における大聖人様である」とする表現は、日蓮正宗の教義に明確に反することである。このような邪義を『大日蓮』で述べてよいものであろうか。日顕上人が日蓮大聖人と同等であるなどというバカげた論を、よくも宗門機関誌が掲載したものである。



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by kachi_kachi_yama | 2012-04-03 00:00