阿部日ケ~ン(院政)の自慢にならない自慢話
身は自称創価学会員ながら、心の半分は法華講で日蓮正宗批判の内部アンチをやってる輩」のごとくに成り下がってしまったあべひは、創価学会員の掲示板やブログに掲載されたネットの「活動報告」を「自慢話」と腐すことが多い。もっとも、自分になついている人物であれば、学会員・デムパ系アンチ問わず単純に擁護してるみたいだが(笑)。

さて、「信心に裏付けられた行学の実践」をネットで蔑んでいるあべひであるが、そのあべひ自身について、その行状は如何なるものか?

「自慢話」のキーワードで私が思い出すのは、3年半前にあべひがネットに残した「自慢話」の一件です。


※「若鷹の大掲示板」より

25 :銀次郎:2009/01/14(水) 02:21:47

よく読めば、ここの参加者で一番好戦的でデマ飛ばして話をすり替えてるのって、阿部日ケ~ン氏だよな。日顕宗相手ならともかく、学会員相手にこれだ。


自分は沖浦氏から個人情報バラされるのを抗議するのに、他人の情報は平然とバラす。反吐が出るよ。
ダラダラと長文書いても、天城氏ややまいぬ氏のような教義的なものはなく、暴露や高圧的な説教文、または揶揄した駄文。
他の掲示板やここでも公爵氏や管理人に対する文を読めばよくわかる。


この先誰もこんな奴の味方はしたくないのが本音。

だいたい阿部日ケ~ンってHN、ア法華が池田太作とかのHN使っているのと変わらない、ての本人気付いてるのかな?

誰も評価してないの、そろそろ気づいてほしいものだ。

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28 :阿部日ケ~ン(院政):2009/01/14(水) 14:42:31

誰かの評価をもらうためにやってるんじゃないから長生きしてるんですよ(笑)
法華講には目を付けられまくってきますが、まぁそこが目的でもある。


いまや法華講のネット論客までもがワシのHNを使い
日蓮正宗では謗法のはずの「怪文書」とやらをばらまいてくれる時代ですわぃ。


(以下、略)



ちなみに、この当時は「阿部日ケ~ン(院政)」の名前を騙ったナリスマシによる掲示板荒らしが富士宮ボーイの他、あべひが出入りしている学会系掲示板に出没していたことがあったのですが、いわば、このあたりから「阿部日ケ~ン(院政)のハンドルネームの対外的価値が法華講員に舐められている」「日顕揶揄のハンドルネームとしての実効性を失った」ばかりか、逆に「非常識な創価学会員」「おかしな創価学会員」としてのマイナスの要素が増え始めたように私は実感したものです。

また、同志からのハンドルネーム批判について、話を軽く受け流す程度で対応するならばまだしも、腐臭がプンプン臭い始めていたハンドルネームに異常なまでの「執着心」を見せつけるがごとき「自慢話」で切り返すあべひのこの発言を見て、私は「あべひは信心がおかしい」と感じ始めたものです。



ほぼ毎日毎日・朝昼晩真夜中まで、貴重な時間を大量消費して「日顕もどきのボロネーム」や「黒川某・樋田某等のボロ男固執してやまないにとっては、おそらく「無駄話」に終わるだろうは思うものの、ここで一応、牧口先生の指導を挙げておきましょう。



※「牧口常三郎箴言集」(辻武寿編、第三文明社)より

ルンペンがその放浪生活からはなれて、紳士の仲間入りをするときには、今まで着なれた
ボロをぬぎすてて、よい着物に着かえなければならない。ひげもそらねばなるまい。着がえにあたって、今までのボロに執着をもち、何となくぬぎすてるのがさびしいなどと観ずるのは、不幸を不幸とも思えないほど、本心を見失った姿である。罰という不幸の果報のなかで生活していることに気づくべきである。幸福な生活への脱皮には勇気が必要である。


ルンペンの話としてなら誰でも理解するが、話がわが身のことになり、宗教上のことに及ぶと、同じ道理であるにもかかわらず、ボロに固執してやまない人が多い。


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by kachi_kachi_yama | 2012-06-28 22:15


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